『偶然の中には、目的がない』
私たち人間は、偶然にこの世に発生し、存在し、進化してきた生き物だとほとんどの人が考え、またそう信じています。しかしそのように信じているほとんど全ての人が、『生きる目的がほしい。心満たされた充実した人生をしたい。』と願っています。この強い願いは、『自分は偶然に生きている。』と信じていることと矛盾してると思います。なぜなら、偶然の中には、目的がないからです。
人が作った全てのものには、仮にそれが何であったとしても、必ず目的と理由があります。なぜなら、それを作った人に目的と理由があったからです。私たちが生きる目的や理由を持ちたいと願うのは、私たち人間も誰かに造られた可能性が大にあるのじゃないでしょうか。そして、私達を造った方だけが、生きる本当の目的と理由を用意しているのじゃないでしょうか。もしそうだとしたら、造り主を知らなければ、私たちが生きる本当の目的や理由をしることはできないと思います。
『造り主??』
確かに、このような話や言葉はおとぎ話か、作り話のようにきこえてしかたがありませんが、このことは聖書の1章1節に書いてあるのです。
『初めに、神が天と地を創造した。』(創世記1章1節)
人は誰もこの世では限られた時間しか生きません。しかし造り主の神の愛と、生きる本当の目的と、永遠の命の希望が、心一つで、誰にでも与えられると聖書のゴスペル(良い知らせ)は言っているのです。
|